宮城道雄は優れた作曲家でありましたが、同時に生田流箏曲の名演奏家でもありました。この、宮城道雄が伝えた生田流箏曲および彼自身の作品(総称して「宮城箏曲」)を、正統な芸として伝承し、さらにその芸の水準の維持と管理をする機関が「宮城宗家」です。宮城道雄は明治38年(1905)9月1日、11歳のときに三代中島検校から生田流箏曲の免許皆伝の巻物を授与されて、独立したひとりの専門家としての道を歩み始めます。この時点で、宮城道雄は宗家たる資格を有したのです。道雄の死後、「宮城宗家」は夫人の貞子、また、姪の喜代子、数江姉妹が受け継ぎました。
なお、宮城宗家が統率する一門を「宮城社」と称します。

 宮城宗家        

​歴代宮城宗家
宮城道雄 1894-1956

明治27年、神戸三宮居留地内に生まれる。明治35年、8才の時に失明の宣告を受け、二代中島検校に入門、以後、箏曲家の道を歩む。明治38年、免許皆伝。明治40年家庭の事情で朝鮮の仁川(現韓国・インチョン)に渡り、同42年、14才の時に処女作《水の変態》を作曲。大正6年に青雲の志を抱いて上京し、同8年、第1回作品発表会を開催。同9年、吉田晴風、本居長世と「新日本音楽大演奏会」を開催、それ以後、昭和初期に一世を風靡した新日本音楽の泰斗となる。大正14年ラジオ放送初日に出演。昭和2年ビクタ-専属芸術家。昭和4年《春の海》を作曲。翌5年、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)講師、同12年教授に就任。この間の昭和7年、フランスの女流ヴァイオリニスト、ルネ・シュメ-の演奏会で《春の海》を合奏。その後、日、米、仏でレコ-ドが発売されて世界的な名声を得る。戦後、昭和23年、日本芸術院会員を拝命。昭和25年、第1回放送文化賞受賞。昭和26年「宮城会」を結成。昭和28年、国際民族音楽舞踊祭日本代表として渡欧。昭和31年6月25日、関西演奏旅行へ向かう途中、列車から転落し、62才の生涯を閉じた。作曲数400以上、また楽器の改良につとめ、十七絃、八十絃、短琴、大胡弓などを考案。さらに随筆家としても著名で『雨の念仏』ほか10冊以上の随筆集を上梓している。
 

宮城貞子 1889-1968

明治22年、滋賀県大津市に生まれる。大正7年、宮城道雄に入門。同年5月、道雄と結婚し苦難の時代を支えた。道雄の死後、宮城宗家・宮城会名誉会長・(財)宮城会館(現宮城道雄記念館)理事長に就任。昭和43年12月没。

宮城喜代子 1905-1991

明治38年、滋賀県大津市に生まれる。大正7年、上京し宮城道雄に入門。以来、道雄と行動を共にし、その死後は、宮城宗家・宮城会会長として一門を率いる。宮城芸術の後継者として教授活動、演奏活動を展開し、昭和46年東京芸術大学教授、同53年生田流協会会長、(財)宮城道雄記念館理事長、同58年重要無形文化財保持者(人間国宝)、同60年社団法人日本三曲協会会長、同61年日本芸術院会員、同63年勲三等瑞宝章を受章するなど箏曲界のリーダーとしてその活動は多岐に及んだ。平成2年、『箏ひとすじに』出版。平成3年2月没。

宮城数江 1912-2005

明治45年、素砂(現韓国)に生まれる。大正10年、上京し宮城道雄に入門。以来、道雄と行動を共にし、その死後は宮城宗家・宮城会副会長として、また、姉喜代子の死後は宮城宗家・宮城会会長として一門を率いるとともに、(財)宮城道雄記念館理事長に就任。宮城芸術の後継者として教授活動、演奏活動を展開し、昭和61年勲四等瑞宝章を受章。平成5年から平成6年にかけて全国規模で展開した「宮城道雄生誕100年記念事業」を推進し、記念のモニュメントとして、「宮城道雄記念碑」(伊勢)、「天響の門」(白浜)の建立に尽力した。昭和31年、宮城宗家。平成3年、宮城会会長、生田流協会会長に就任。平成12年から15年まで、社団法人日本三曲協会会長。ビクター専属芸術家、宮城合奏団主宰。平成17年11月没。

​牧瀨裕理子

昭和26年、宮城道雄に入門(8歳)、引き続き宮城喜代子・数江に師事。昭和34年から阿部桂子師に三絃を習う。昭和40年、東京藝術大学邦楽科卒業、宮城賞受賞。昭和43年、同大学院修了。同年、宮城家に繋がる牧瀬喜久雄と結婚。昭和44年から同53年、東京藝術大学邦楽科非常勤助手・講師。昭和44年から平成20年にかけて、昭和44年のアメリカ公演から「日本ブラジル移民100周年記念 箏曲宮城会第2次ブラジル公演」まで11回の海外公演。平成10年から同23年(隔年)、東京藝術大学邦楽科講師。先宗家、宮城数江の晩年及び没後、宗家代行的役割を担う。

平成25年5月、宮城宗家を継承。

現在 宮城宗家・箏曲宮城会名誉会長・一般財団法人宮城道雄記念館  理事長・公益社団法人日本三曲協会理事・生田流協会常任理事・宮城合奏団主宰

宮城合奏団

宮城合奏団は、昭和8年(1933)に合奏技術の向上を目的として創設された「宮城社研究部会」を母体とし、2年後にはすでに「宮城合奏団」の名称で対外的な活動をしています。その後、幾多の変遷を経て、昭和44年(1969)に宗家宮城喜代子・数江が主宰して新結成されたのが、現在の宮城合奏団です。昭和45年(1970)1月2日の関西テレビ正月特別番組出演から公的に活動を開始し、現在までに、全国各地での演奏会、ラジオ・テレビ放送、レコード録音などで活躍しており、そのレパートリーも宮城道雄の作品はもちろんのこと、古典曲から現代曲にいたるまで多岐にわたっています。昭和50年(1975)の東京公演では、文化庁の芸術祭優秀賞を受賞するなど、その活動は高く評価されています。

【宮城合奏団・団員】

森千恵子 大浦美紀子 佐野奈三江 榑松志保美 藤木豊乃 三森正子 新宮順子 岩城弘子 

吉澤昌江 上條妙子 村田章子 松井美千子 市橋京子 帯名久仁子 野澤潤子 多々良香保里 

池上眞吾 長谷川愛子 遠藤千晶 小畔香子 阪元沙有理 大嶋礼子 吉永真奈  ※平成30年現在