歴代宮城宗家
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宮城道雄
(1894−1956)
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明治27年、神戸三宮居留地内に生まれる。明治35年、8才の時に失明の宣告を受け、二代中島検校に入門、以後、箏曲家の道を歩む。明治38年、免許皆伝。明治40年家庭の事情で朝鮮の仁川(現韓国・インチョン)に渡り、同42年、14才の時に処女作《水の変態》を作曲。大正6年に青雲の志を抱いて上京し、同8年、第1回作品発表会を開催。同9年、吉田晴風、本居長世と「新日本音楽大演奏会」を開催、それ以後、昭和初期に一世を風靡した新日本音楽の泰斗となる。大正14年ラジオ放送初日に出演。昭和2年ビクタ−専属芸術家。昭和4年《春の海》を作曲。翌5年、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)講師、同12年教授に就任。この間の昭和7年、フランスの女流ヴァイオリニスト、ルネ・シュメ−の演奏会で《春の海》を合奏。その後、日、米、仏でレコ−ドが発売されて世界的な名声を得る。戦後、昭和23年、日本芸術院会員を拝命。昭和25年、第1回放送文化賞受賞。昭和26年「宮城会」を結成。昭和28年、国際民族音楽舞踊祭日本代表として渡欧。昭和31年6月25日、関西演奏旅行へ向かう途中、列車から転落し、62才の生涯を閉じた。作曲数400以上、また楽器の改良につとめ、十七絃、八十絃、短琴、大胡弓などを考案。さらに随筆家としても著名で『雨の念仏』ほか10冊以上の随筆集を上梓している。
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宮城貞子
(1889−1968)

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明治22年、滋賀県大津市に生まれる。大正7年、宮城道雄に入門。同年5月、道雄と結婚し苦難の時代を支えた。道雄の死後、宮城宗家・宮城会名誉会長・(財)宮城会館(現宮城道雄記念館)理事長に就任。昭和43年12月没。
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宮城喜代子
(1905−1991)
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明治38年、滋賀県大津市に生まれる。大正7年、上京し宮城道雄に入門。以来、道雄と行動を共にし、その死後は、宮城宗家・宮城会会長として一門を率いる。宮城芸術の後継者として教授活動、演奏活動を展開し、昭和46年東京芸術大学教授、同53年生田流協会会長、(財)宮城道雄記念館理事長、同58年重要無形文化財保持者(人間国宝)、同60年社団法人日本三曲協会会長、同61年日本芸術院会員、同63年勲三等瑞宝章を受章するなど箏曲界のリーダーとしてその活動は多岐に及んだ。平成2年、『箏ひとすじに』出版。平成3年2月没。 |
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宮城数江
(1912−2005)
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明治45年、素砂(現韓国)に生まれる。大正10年、上京し宮城道雄に入門。以来、道雄と行動を共にし、その死後は宮城宗家・宮城会副会長として、また、姉喜代子の死後は宮城宗家・宮城会会長として一門を率いるとともに、(財)宮城道雄記念館理事長に就任。宮城芸術の後継者として教授活動、演奏活動を展開し、昭和61年勲四等瑞宝章を受章。平成5年から平成6年にかけて全国規模で展開した「宮城道雄生誕100年記念事業」を推進し、記念のモニュメントとして、「宮城道雄記念碑」(伊勢)、「天響の門」(白浜)の建立に尽力した。昭和31年、宮城宗家。平成3年、宮城会会長、生田流協会会長に就任。平成12年から15年まで、社団法人日本三曲協会会長。ビクター専属芸術家、宮城合奏団主宰。平成17年11月没。 |
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